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復讐という名のモチベーション

2/6/2021

 
表現の一つとして女性軽視のなにかを取り上げたくなかった。
自然と、空気のようにその状態を維持して、
自分の自然な態度を通して、それを昔の出来事のように感じ取りたかった。
自分の怒りではない部分の琴線に触れることを形にしていきたかった。
リバタリアンだし、国とか大きな動きとかはどうでも良いし。

でも、目にしてしまい耳にしてしまうこと。
わずらわしい上に、当の男性諸君は基本的には誰も切羽詰まっていない。
男性に生まれた時点である面では今の日本では勝ち組で、高みから見てる。
それに気づいておらず、男女はすでに平等だと言う人の多いこと。

初めて入社した会社で、これは何かがおかしいと思った。
新入社員歓迎会、女性新入社員はそろって社長に料理をいち早く出す競走から始まった。断ったら、上司に皿を渡され、アピールしてきなさいと言われた。勤続の長いとてもよく仕事のできる女性は、子供ができると時短になりその分給料は大卒初任給より少なくなった。その人は入ったばかりの男性社員にお茶をくみ、掃除をしなくていいとも言っていた。役員がすべて男性の様。男性は役職がつくように優遇され、女性はいつまでたっても安いお給料のまま。お酌をする教育をされること。好きな服が作れているんだから安い給料でもいいだろと言われたこと。裁量労働制という名のデザイナー職(女性のみ)の残業不払い。
ここにいたら自分はなりたい自分にはなれないと思い退社した。
最後に常務へ挨拶に行くと、お前が変わってしまって悲しいと、昔は大人しくてそんな口答えしなかったのにと言われた。(どっかで聞いた事のある話)

フランスに行ってからも、日本よりも女性が強いし平等を感じる国ではあるが、それでもなお問題はある。男性による女性へのDVや性被害などは多いし、それにまつわるデモもよく起こっている。知り合いの女性はフェミニストで、男性に危険を感じ、同性愛者になろうと努力している。

韓国の82年生まれキムジヨンは、映画を先日見にいきましたが、本当に泣けた。自然に女性はキャリアや苗字を剥奪され、子供を背負って生きていく。
私の父親も母と離婚してから母に養育費を一切払わなかった父親の一人ですが、そのおかげで私はパクセロイ並みの執着心で自分のありたい姿を追い求め、母が私に使った時間を取り戻そうとしている。

やっぱりこの問題を私はTシャツの柄にはしないだろう。
服は次の時代の理想を形にしたものだ。
強くて知的な姿勢、それだけで十分。

悲しいことは強くなる前触れ

5/29/2020

 
元夫は基本的に優しく面倒見がいいけれども、それでも分かり合えないところがあった。どうして私の言うことより自分の言い分を押し付けてくるのか。二人の中で私の意見はどうして夫の意見より重要視されないのか。
それは社会的な差。女より男の方が強い、小さい男より大きい男の方が強い、貧乏な人より金持ちの方が強い。たくさんのヒエラルキーの中で人は生きていて、だからこそヒエラルキーの上にいる人は弱い人を助ける優しさがないといけない。
ある人は、その彼女と対等な関係だと言った。明らかに対応な関係ではないのに、対応な関係だといって、自分は自分のやりたいようにやる人間だから仕方ないんだって。その場合泣くのは女。
私の元夫はもう少しマイルドでしたけど、男性の中には、自分が強い立場であるということがわかっていない人が多い。声を張りあげることで、相手を萎縮させてしまっているのを気づけていない。

この2020年に、いまだに白人警察が黒人を殺害した。
いつまでこの世界は最悪なんだ。

私は強いから服を作って発表するのではない。
弱いから、少しでも強くなって、この世界をマシにしたい。

女性変遷

3/4/2020

 
某アパレル社長のセクハラ(それ以上)の件で、自分の昔の経験がいろいろと呼び起こされた。。
社会に出るまで、自分は一人の人間でしかなかったのに、
仕事を始めて、有能でも役職にもつけずに薄給で、男性の周りで尽くす女性というのがデフォルトの女像ということに驚きながら受け入れた。あらゆるところで男女の格差を目の当たりにした。
フランスへ行って、男女が対等な社会を知った。強い女と対等に渡り合えない男は言葉が完璧ではない外国人女性をマウンティングしようとした。立場を使ってセクハラしてくる奴もいた。フランスでも格差はあるけど、強い女性は多かったから勇気を持てた。
男に愛されないといけないのは自分一人で生きていけないからであって、社会的な立場が対等であれば媚びる必要はない。どこかでいつかの自分と同じような思いをして傷ついている女性がいるかと思うと心が張り裂けそうになる。
日本に帰ってきて時代は変わったと思っていたのに、いまだにこんなことがあるなんて信じられず、某会社の女性社員みんな引き取ってフォトコピューのドレスをプレゼントしたい気持ちでいっぱいです。(それくらいのことができるようにがんばります。)

終わりがわからない

10/25/2019

 
量産を進めながら新たなシーズンのことを考えている。この時期は通勤途中などに何が本当に必要なものなのかをずっと考えている。
ずっと考えながら、いつもの生活の中で、いつもとは違う土地で、故郷で、友人との対話で、始めて会った人とのやりとりで、見つかっては更新されていき、手を動かしながら、生地を見つけながらの過程でだんだんコレクションが立ち上がってくる感じだ。
最初はフレッシュなものに惹かれた。若々しくて軽やかなもの。大胆なもの。分かりやすい提案を心がけて頭の中で計算しながらコレクションを組み立てようとする、蒼いジェネレーション。
蒼いジェネレーションの後には挫折があり、もう少し周りを見ようとする。現実の中での必要性を考える。現実的な着地点と共に、より明確なアイディアが出てくる。素材を生かすところからデザインは始まるので、見初めた生地のより生き生きした状態を探る。
トライ&エラーを繰り返し挫折を何度もしながら少しずつ形になりながらも、本当に求めているものの着地点は見えない。いつだってテーマは最後まで(最後になっても)決まらない。
様々な外的要因もコレクションを作る。思いがけず生まれた異物も、一つのアイデンティティとしてブランドを形成する一つの細胞となる。

そういえば現在Camille Henrotがオペラシティで展示をしており、数年前に見たPalais de Tokyo(パリ)の Days are dogsの展示が衝撃的(というか、やさしく犯されていく感じがとても気持ちよく興奮した)だったこともあり、数年ぶりに作品を拝見できた。
多くの神話をリサーチし自分の解釈で感覚的に新しい一つの神話として編集し成立させていくその物語の中には、整理しながらも溢れてしまうものや予想外に生まれるものがあり、それを受け入れながら世界は構成されていくという。実に女性的な編集の仕方に、本人の話す姿に優しく革新的な気分になった。


答えのないことを良しとしているわけではない。できるなら単純な答えを作って安心したいけれど、分かりやすいプレゼンをして納得させたいけれど、物事を明確にすることでゆらゆらした気持ちの移ろいが消え去ってしまわないかの方が不安である。
できる限り緩やかで生々しいままの状態を保ちながら思いを届けたい、

分かりづらい真実よりも明確な作り話に引っ張られがちな世の中だけに、
自分に起きた、自分の感じた本当のことだけに情熱を持って生きていきたい。

熟れた理想の種

1/28/2019

 
今はパリ。展示会前のシューティングはほぼ終わり。
フランス語は、自分を自立させる。日本語のかくかくして硬い、さらに自分の甘えを帯びた発音が、フランス語を始めるといきなり子供の話し方だったように距離をつくった。

以前のブログの文章を読み、比べるとわたしには理想ができた。人は自分の育った環境によってキャラクターや振る舞い、できることが違うと思っている。
やはり日本の女性というのは未だに社会的に優位性が低く、昨今もゴシップからして残念なものが多い。私は家族から、女の生きがいとして男性に尽くす姿勢を見せられてきた。女性は辛い思いをしても我慢するもの、という姿勢をまざまざと見せつけられてきた。その教育は、実は今でも自分の中にこびりついていて、男の言うことを聞いたり、尽くすことへの気持ち良さを感じている。自立して生きたいという自分との葛藤をしながらも。そしてその葛藤が自分の衝動の源だと思っている。もう身近な女性が我慢しなくていいように、自分の権限で決めて、自分が一番輝けることに専念できる世の中を作りたい。女性が家に入るという教育なんかもう今はされていないかもしれないけれど、その教育を体感したものとして、自分の感じてきた摩擦への解決策を自分のできることの範囲で具体化していきたい。

北欧の女性の社会進出のきっかけは労働者不足を補うための国策だという話を聞き、ヨーロッパの女性が強いとか、そういうものは作り出されるものであろうと思う。自分もこの違和感への気づきは私の家庭レベルの人間がパリで生活できたというグロバリゼーションによる外的な影響によるものだと思うけれど、そういう社会の全体感のなかで、現代の女性にとってしかるべきイメージを作っていければと思っている。

ここではないどこかへ行きたい衝動

5/7/2018

 
以前、灰野敬二さんのインタビューを拝見して以来、折にふれてこの言葉が思い出される瞬間が多々ある。
そのインタビューで、灰野さんはプロの話し方として、イメージで語るのではなく、実務的な方法論で話すという作法で語られていた。事象の全ては理由を持ち、全てにスタートがあり、ゴールがある感じだ。イメージで終えることが許されそうなその仕事の、自分の思想を他者に共有させるための言葉として、たくさんのものがそぎ落とされた骨みたいな言葉として、どういう気持ちで一音一音を鳴らしているかという問いかけに対してその言葉は発言された。
ここではないどこかへ行きたいという気持ちをもって一音一音を弾いている。観客はここではないどこかへ行きたいと思って自分を見にきているから、それに応えるために自分はみんなのいるところとは違う極地にいようとしてる、そんなようなことを言っていた。要は、イってる人を見たいというお客さんに答えているということだ。
この言葉はすでに自分の中で何度も反芻されて、自分の中で初期よりより肉付けされて自分の中で生きている。

ここではないどこかへ行きたい気持ち、とはみんなが持っている衝動。ずっとデスクに座って働いているとどこか違う国に旅行に行きたいし、愛する子供を寝かしつけた瞬間に別の人生があったかもと思いにふけることなど。
人はいつも自分の人生を2つ選べない。何かに時間をとられると、なにかができない。気持ちいいだけでもそれすら平凡になって、一見幸せでも、もっと胸が締め付けられるような出来事を夢見る。女の楽しさを知りながら、男性性に憧れている。このここではないどこかへ行きたい気持ちは一向におさまらない。叶わなければ叶わないほど、まとわりつく。

その衝動を緩和する方法として、3つくらいの心のふるさとをつくることは一つの方法だと思う。これは社会学者の受け売りだけど(宮台さんだったか)、1年のうち数ヶ月は住む場所を変えたり、いくつかの信頼できるコミュニティを持ったりして、ここではないところにいる自分を体現できれば、平凡に陥って消沈することもない。
それはときに人に言いづらいことかもしれないけど、自分の平凡から真逆の状況は自分を満たしてくれるに違いない。特に日本は法令遵守、善人であることを重要視する国民性なので、透明性のある人でい続けるためにその人の裏はひたすら隠され続ける。けれどそれが確実にあるはずだけど見えない状況は、その人をよりエレガントに見せる気がするんだ。ここではないどこかに行けている人は、人が決めた道徳を軽々と超えて魅力的に映る。

理想

10/30/2017

 
司馬遼太郎の何かの本で、大阪の人は技術はあるが理想がない、東京の人は理想はあるが技術はない、という話があると聞いたことがある。
フランス人は理想を持ってるけど働くことにあまり積極的ではなく、日本人はお金を稼ぐことはできるけど理想を持ってない、ということも言えると思う。
そう思えば、私は理想を持って物事にむかっているとは思えない。私のものづくりの動機は、いつでも自分の狭い世界の外に飛び出すための一つの方法だった。何か懸命にものを作ることで、次のステージに行けた。目標とするデザイナーに会えた。フランスに来れた。いつも自分の世界が狭いと思っていた。今、ヨーロッパでの生活は4年目で、自分が井の中の蛙だとは思わなくなった。
そういう状況においても、自分の理想よりも、人の掲げる理想は眩しい。でももはや、服のデザイナーで感動する理想を語る人はほとんどいない。むしろ、仕事人としては理想を語るだけではアウトなので、実務を語るべきでもある。

とは言いつつ、理想は経験によって培われるものなので、気質的に理想のないタイプだったとしても、新しいものを作り出す努力によって理想は創造できる。その努力がオリジナルの理想を作り出す手助けだろう。初期衝動を大事にすること、万人に共通する根源的な理想も、可能性がある手。

宮崎駿さんが、理想を失ってはいけないとおっしゃっていた。
ファッションの理想は、もはや節度あるということと思っているけれど、もっと別の視点から見た、より心に響く理想もあるはずだ。

マルジェラとそのエルメス

8/24/2017

 
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アントワープでやっているマルジェラの展覧会に行ってきました。

展示は、他の写真でも見られるように双方の共通点のある服を並べて展示し、マルジェラが2つのブランドをどう呼応させたかというものが一堂に見られる展覧会です。
多くはモデルが着用する映像や、その当時作られた映像、写真と一緒に展示されていて、当時の背景と共に見られるようになっています。
全体で118体の洋服(マルジェラとエルメスが半分ずつくらいで)あって、15くらいのテーマをごとに紹介しています。シルエットとか、レイヤードとか、ニットとか、、etc.

展示は同じように、繰り返し、2つのブランドをあらゆるテーマで比較します。最初のうちは行儀よく2つのブランドの仕上がりを比較しながら進むのですが、だんだんそれを繰り返しているうちに、この二つの服の違いを頭の中でぼーっと考えていきます。
彼はデザイナーとしてほんとうに優秀だなあと思う。この2つの何が違うかって、マルタンマルジェラの服は、そのアイディアやクリエーションでそのどこにでもありそうなただの生地をめちゃくちゃ価値あるものに変換してる。どんな生地を使っても価値を増幅させるのがデザイナーの仕事だとしたら、すごい仕事人だ。ここ数年、高級品をつくることに専念している自分の中に爽やかな風が吹いた気がした。

そうやって足を進めて行くと最後の方にhermesのlosangeをテーマにしたブース。スカーフをケープにしたエルメスのシックな黒のトップスがあり端は手できれいにまつられたいかにもシルクの高級品、その奥に、古着屋に売っていそうなスカーフを組み合わせたマルジェラのドレスと、その時期に作られら歓声の上がり続ける映像。
マルジェラが、guerrisol(ゲリソル、パリにたくさんある安い古着屋)に行くのも好きだったと聞いたことがあり、その映像と服の背景にパリの18区にある古着屋の古着の山で探し物をする混血の親子を想像した。
一つのアイコニックな高級スカーフのイメージと、1ユーロの服を選ぶ人が一つの線状に並んだ感じがして感動せずにはおられなかった。歓声が全ての生を祝福しているように思えた。何度か展覧会を往復したけど、毎回最後のその場面で涙が出た。
時代的にはエルメス2004年のアイテム、マルジェラ1992年のアイテムと遡るけれども、逆に深層に入って行くような感覚でつながっていった。
自分なりの文脈で、ある意味うがった個人的な見方かもしれないけれど、自分の知識の中でそういう風に展覧会を見ました。
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どこかで知っているひと

7/14/2017

 
深緑の一人がけのソファに座った誰かの父親が
ジャズなどを好みそうなお父さんが
ウイスキーを何日も放置したような表情で
私の頭の中に15年間くらいそうやって座っているけど
あなたは誰

スーパーラヴァースな頃

4/9/2017

 
若い頃FURUITSという雑誌がバイブルで、原宿の道端に座るロリータやデコラ、サイバー、古着な子たちに憧れた。インターネットを知らない時代、その服はどこで手に入るのか、本当にこの街は存在してるのか、情報に保守的な田舎の家で育った私にとって雑誌の中のことはある意味ファンタジーであった。その中フェトウスというサイバーブランドの通販を取り寄せて、お年玉でその範囲で買えるカットソーとかを買ったな〜という、甘酸っぱい思い出がある。。。。。

ユースカルチャーを扱うブランド、多いなあ〜と思っているんだけど、あまり好きではないと思ってるんだけど、ふと今の東京の若い子がしてるサイバーなファッションを見た瞬間胸熱になる。
人は若い頃得れなかったものを求め続ける、とか中学生時代の自分を許すためにがんばり続けるとか聞くんですけれども、自分のユースの時代に背を向けてきたものとして、自分とユースカルチャーのつながりにもう少し思いをめぐらせてみたいと思いました。
大人だから、成長したからこそ求める、ユースカルチャー。ってあるなあ〜と。
大人になってから感動するものや映画、音楽は数多くあるけれど、若い頃に熱狂したヒリヒリ感を越える感情とは別物で、タイムカプセルのように一旦埋めたら追加できないものなんだと思う。
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    misa 

    Women's wear designer

            

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