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もうすぐ30歳

5/3/2016

 
最近の私が人から聞いた言葉で残っているもの。

某女史がいつまでも続けていられる理由を聞かれた時、自分がおもしろいと思ったものしかやっていないと言っていたそう。
ファッションがわかった瞬間(ファッションビジネスが見えた瞬間)、その人は消えていく。だって。何かよくわからないはざまのブレが、ファッションの魅力をつくる。なんかひさしぶりに熱くなった。

トレンドに流されないものづくり。といっても、MUJIとかそういうことではなく、いつまでたっても価値を感じるもの。ユーズドの売買で、ずっと価値がある(むしろ値段が上がる)洋服には、そのものの作品性がある。そのくらいの強さがあるということ。トレンド的に良いものじゃなくて、10年経っても価値がある洋服を作りたい。

デザイナーはアーティスト!とよく言う新しい会社のアトリエチーフ。そういう環境が、わがままを許してくれる周囲の人が、ある意味でデザイナーをたらしめてくれている、そんな環境。

決心

4/3/2016

 
私自身30歳を目前に、抱える女性性の悩み。
幼い頃からものづくりの中で生きてきた私にとって、それ以外のことが考えられず、ずっとデザイナーとしていい仕事をしたいという気持ちを抱きながら、今に至る。
海外旅行にも行けない貧しい田舎の家庭に育ちながら、出会う人に恵まれ、なんとか今パリで一流のメゾンに近いところで戦いを挑んでいるところ。
そして今、偉大なデザイナーが没しまた生まれるこの地で、私もこの世界に一筋の生きる希望を刻みたいと、真っ向から世界に挑戦したい気持ちでいる。
職業人として、使命を全うしたいという気持ち。

それに対して、女性性としての私は全く逆の感情を抱く。
現在離れて暮らす旦那と早く再会したい。早く東京に帰りたい。子供がほしい。毎日安心して眠りたい。女として生きたい。

両方の思いが強くなって、アンビバレントな感情に体が裂かれる思い。お互いがお互いを殺している感じ。
離婚をすることも、子供を育てながらゆっくり仕事をすることも考えた。けれど、どちらも私の本当に望むものじゃない。


そして、今の働く女の人が多い時代、このアンビバレントな感情を抱えながら生きている人はたぶん私だけではないと思った。
仕事で重要なポジションを任されながら、女として好きな人と大事な時間を過ごしたいと思っている人たちはたくさんいると思った。

ずっとコンテンポラリーな女性像とは何か考えてきたけれども、これは、感情を込めて、今を生きる現代の女性像だと言って良いと思う。
フレッシュでとがった、ファッションヴィクティムな洋服や女性像は作れないけれど、
今の働く女の人がより自分の気分に近しい、安心できる心のブランケットみたいな洋服を、自分の今まで培った経験を元に形にしていきたいとおもう。

欲望とエレガンス、

3/30/2016

 
サンローランは女性にパワーを与えた、シャネルは女性たちを解放した。アルベール エルバスは、女性に何をもたらせるか考えた。
もし私が日本にいたら、歴史に残る偉大なデザイナーになりたいと考えたことがあっただろうか。
だったら私は、現代の女性にいったい何をもたらせるだろうかと考えたことがあっただろうか。
​知人が参加していることもあり、今回の東京コレクションは割とよく見た。
日本のブランドのコレクションを見ていて、すごく鎖国のスピリットを感じた。
純粋に自分の好きなことをやるという精神、それは美しいけど、結果的には世界を見れていない、っていう結果に映る。
服をコレットに置きたいのか、日本で身近な人に心地よい服を売りたいのか。
どこに目標を置いてるかにもよるけど、パリに住みながら日本のファッションウィークを見ると、遊んでるようにしか見えないブランドがたくさんある。実際あまり本気ではないと思う。
歴史的な老舗で、大規模なブランドで、急拡大した新しいメゾンで、期待の新星として、しのぎを削ってるっていうのはこういうことなんだなと思える、パリのショーに参加するそのレベルのブランド。
世界で生きていくために、オンリーワンであり、ナンバーワンを目指している。時代的に、激しいクリエーションではないけれど、時代の牽引者になるために、新しい価値を本気で探しながら、ブランドをやってる。
ショーはプロモーションであり、広告だから、多くの人に見てもらいたいっていう意思があるはず。
そういうプロモーションをするときに、
デザイナーの小さい島国で培った価値観を見せられると、チーンとなってしまうところはある。
この色使い、モデリズム、思考、グローバルな世の中に、この狭き価値観!?洋服のデザイナーという立場で!?と思ってしまう。
むしろ、海外にいて戻ってきても、日本で暮らしているとヨーロッパが遠すぎて忘れてしまう部分があると思う。
この前のcoromozaでやってた座談会でも、私たちぐらいの世代のわりと弁が立つ人がいたけど、的外れな印象を受けてなんとも言えない。。あなたの好みを聞いてるんじゃなくて、時代をどう映しているかが知りたいんだよ。っていうところ。
ライターとかバイヤーは世界のファッションサーキットに乗って仕事ができるけど、ある意味日本在住の中流階級以下の若手デザイナーっていうのは、めちゃくちゃ不利。しかも海外歴のない人が、日本在住でデザイナーとしてグローバルに活躍していくっていうのは、それ故の独特な感覚を誇張する方法しかないのでは。中途半端では、難しい。日本独特の、隠れた美徳とか、ゆるさとか、ストリートを、より誇張して、分かりやすく落としこむ目が必要だと思う。ショーをするならなおさら、世界を見てる人たちに、おもしろいブランドと認識させなければいけないから、島国の価値観は寒く映るとおもう。
自分が今やっていないから言えないけれど、備忘録として。


スタージュを探す上で、老舗ブランドに入って仕事をすることを現実的に考えたり、実際面接で内部に入ったり、歴史を調べたりしてよりパリのブランドを身近に感じることができている。今日、ランバンに行ったけれど、アルベールエルバスはここで仕事していたのかなあとか、意外と新しい簡素なスタジオなんだなあとか、実際のことはわからないけど、現実的にトップレベルのプロフェッショナルたちが働くことを想像する。


最近エレガントというキーワードをよく考える機会があるけれど、
エレガント=上品というのは、見えないところに宿る気配だと思った。
porterは、フランス語で持つという意味の単語だけれど、着る、支えるという意味もある。
服を着るということは、体や生きること自体を支える、という意味ととらえてもいいと。
ディーオルは、エレガントとは全て、と言った、見えないところまでの配慮がエレガントだと
サンローランは心のエレガンスなしにエレガンスはないと言った
シャネルはだいたいの女は着飾りすぎていて、エレガントじゃない
と言ったそうだ、
AV監督の仁村さんがコラムで、品がいい人が一番モテる。品がいい人は、自分の欲しいものを知っていて、欲しくない物は欲しがらないから品がいいと言っていた。自分の欲望を探すことが、上品になることに繋がると。例えば仁村さんはAV監督だから例としてこう挙げていたけど、自分の欲望を知っている=どんなセックスをしたいかを知ってる人。自分がどういうセックスをしたいか追求することがエレガントだということに繋がるという展開は、結構おもしろくて目から鱗だった。

体のフィールド

12/15/2015

 
20代前半くらいの、若い人たちからよく、リアルな服が作りたいと聞く。
私は近頃、リアルなものの中にファンタジックな何かとか、高揚感とかを感じれることが良いなあと、思ってきた。
リアルな洋服を作ってきたこの5、6年間。図面化された洋服の下絵(平絵)を元にして作る服は、実際も、感覚的にも予想のサイズ感を越えない。
良い服、良い体の捉え方をしてるなあと思う写真など見たとき、体はこんなに大きかったんだとか、こんなに見所があったんだなあと思う。
時間をはしょるために、写真の土台の上にデッサンすることは効率的だけど、
もう少し、自分の体の捉えかたを可視化するためのデッサンに描きかえたい。
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    misa 

    Women's wear designer

            

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