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残念な母性

6/23/2021

 
ボーヴォワールの女性と知的創造という本を読んだことで、現代の自分が感じている虚しさや怒りとその当時の女性のあり方が行ったり来たり、とても急がしい。
パターンを引いていながらも思いを巡らせており、このシーズンのニットを見ると、たぶんこの事柄が思い出されるのだろう。

女性は母になると、自分の人生を賭して子供に時間を捧げることがあるべき姿のようにそうあることを押し付けられる。無償の愛で子を育てる裏には、いくつもの諦めがあったのだろう。
自分が子供の頃には気づかないしそれが普通のように思ってしまっているけれど、何かを成し遂げたかった女性であったかもしれない私の母は子育てと仕事、2足のわらじを履かされる。その瞬間彼女のなかの時間のやりくりは、仕事の時間を否が応でも奪っていく。
反対に、男性は結婚して子供ができたとしてもほとんど何も変わらないし、奪われなかった。キャリアも奪われないし、時間も奪われない。家の中にお手伝いさんが増えるという印象だったのかもしれない。
女性は家で家事と子育てをして、男性は外で仕事をしてお金を稼ぐということは、平等な仕組みを作らない。稼いでくる夫にどうしても依存してしまう状況になり、大きな決断は女性ひとりではできなくなる。もし女性自身がしっかりお金を稼げていたら、家だって車だって自分が決定権をもって、自分の稼いだお金で買えるのだ。。。

今はというと、共働きがニュートラルになってきた世の中で、しっかりとまだ根強くある女性の働きづらさ。なぜ、女性だけが危険な目に合いお腹を痛めて子を産んで、女性だけがキャリアを失い、復帰しても安い賃金で働かなければならないのか。なぜ女性はそこそこある程度で満足しなければいけないのだろうか。人に依存し続けなければいけないのだろうか。
男性側はいつだって人ごとのようにしているけれど、自分の最愛の母親に降りかかっている悲劇であることを思い、なお人ごとでいれるというのだろうか。

状況はがらりとは変わらない。自分はこのスパイラルから距離をおいて生活できているけれど、女性であることでの不平等を感じながら生きている。何かのコンテストではだいたい年配の男性に決定権があるし、政治においてももう死にそうなおじいさんたちが私利私欲で物事を決めている。少しいる女性もおじいさんたちに認めてもらうためには保守をアピールしないと政治に関われない。自分はそんなばかげた政治に関わるまいとしても、聞こえてきてしまう情報のせいで国民の一端を担ってしまっていて、リアクションをしなければ受け入れてしまったというような自己暗示さえ感じうる。
​
そんな中でも、古い頭の組織からは離れて、自分たちが自分たちの能力を発揮できる環境に身を置いたり自ら作っていくこと、そしてその環境が盛り上がって社会を再編成していくことが、本来あるべき平等な世の中を作っていくひとつの礎だと思っています。女性であることで何かをあきらめないで。
​

夫婦別姓を認めない、というニュースに煽られて。

    misa 

    Women's wear designer

            

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