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マルジェラとそのエルメス

8/24/2017

 
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アントワープでやっているマルジェラの展覧会に行ってきました。

展示は、他の写真でも見られるように双方の共通点のある服を並べて展示し、マルジェラが2つのブランドをどう呼応させたかというものが一堂に見られる展覧会です。
多くはモデルが着用する映像や、その当時作られた映像、写真と一緒に展示されていて、当時の背景と共に見られるようになっています。
全体で118体の洋服(マルジェラとエルメスが半分ずつくらいで)あって、15くらいのテーマをごとに紹介しています。シルエットとか、レイヤードとか、ニットとか、、etc.

展示は同じように、繰り返し、2つのブランドをあらゆるテーマで比較します。最初のうちは行儀よく2つのブランドの仕上がりを比較しながら進むのですが、だんだんそれを繰り返しているうちに、この二つの服の違いを頭の中でぼーっと考えていきます。
彼はデザイナーとしてほんとうに優秀だなあと思う。この2つの何が違うかって、マルタンマルジェラの服は、そのアイディアやクリエーションでそのどこにでもありそうなただの生地をめちゃくちゃ価値あるものに変換してる。どんな生地を使っても価値を増幅させるのがデザイナーの仕事だとしたら、すごい仕事人だ。ここ数年、高級品をつくることに専念している自分の中に爽やかな風が吹いた気がした。

そうやって足を進めて行くと最後の方にhermesのlosangeをテーマにしたブース。スカーフをケープにしたエルメスのシックな黒のトップスがあり端は手できれいにまつられたいかにもシルクの高級品、その奥に、古着屋に売っていそうなスカーフを組み合わせたマルジェラのドレスと、その時期に作られら歓声の上がり続ける映像。
マルジェラが、guerrisol(ゲリソル、パリにたくさんある安い古着屋)に行くのも好きだったと聞いたことがあり、その映像と服の背景にパリの18区にある古着屋の古着の山で探し物をする混血の親子を想像した。
一つのアイコニックな高級スカーフのイメージと、1ユーロの服を選ぶ人が一つの線状に並んだ感じがして感動せずにはおられなかった。歓声が全ての生を祝福しているように思えた。何度か展覧会を往復したけど、毎回最後のその場面で涙が出た。
時代的にはエルメス2004年のアイテム、マルジェラ1992年のアイテムと遡るけれども、逆に深層に入って行くような感覚でつながっていった。
自分なりの文脈で、ある意味うがった個人的な見方かもしれないけれど、自分の知識の中でそういう風に展覧会を見ました。
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どこかで知っているひと

7/14/2017

 
深緑の一人がけのソファに座った誰かの父親が
ジャズなどを好みそうなお父さんが
ウイスキーを何日も放置したような表情で
私の頭の中に15年間くらいそうやって座っているけど
あなたは誰

スーパーラヴァースな頃

4/9/2017

 
若い頃FURUITSという雑誌がバイブルで、原宿の道端に座るロリータやデコラ、サイバー、古着な子たちに憧れた。インターネットを知らない時代、その服はどこで手に入るのか、本当にこの街は存在してるのか、情報に保守的な田舎の家で育った私にとって雑誌の中のことはある意味ファンタジーであった。その中フェトウスというサイバーブランドの通販を取り寄せて、お年玉でその範囲で買えるカットソーとかを買ったな〜という、甘酸っぱい思い出がある。。。。。

ユースカルチャーを扱うブランド、多いなあ〜と思っているんだけど、あまり好きではないと思ってるんだけど、ふと今の東京の若い子がしてるサイバーなファッションを見た瞬間胸熱になる。
人は若い頃得れなかったものを求め続ける、とか中学生時代の自分を許すためにがんばり続けるとか聞くんですけれども、自分のユースの時代に背を向けてきたものとして、自分とユースカルチャーのつながりにもう少し思いをめぐらせてみたいと思いました。
大人だから、成長したからこそ求める、ユースカルチャー。ってあるなあ〜と。
大人になってから感動するものや映画、音楽は数多くあるけれど、若い頃に熱狂したヒリヒリ感を越える感情とは別物で、タイムカプセルのように一旦埋めたら追加できないものなんだと思う。

April 04th, 2017

4/4/2017

 
ゾゾタウンとか日本のECサイトとこっちのサイトを見比べて、目を見張るほどに体の意識について違いを見つけることができる。
最近はずっとヨーロッパの服に慣れているからこそ久しぶりに自分のふるさとに帰って、ちょっと仰天した。
ヨーロッパ特にフランスはバロックの時代があって、装飾に対するキャパシティが広い。日本は着物という同じ形の中で表面の布地にこだわってきたけど、その片鱗はありありと日本の現在の服の中に見てとれる。いわゆるシャツ、いわゆるワンピース、いわゆるスカート、カテゴライズの枠組みがはっきりしていて、変形の仕方が硬い。フォルムのドラマチックがもたらす恩恵に、あまり執着心がない。関心がないというより、体のカーブをいかに魅力的に見せようとするという感覚が存在してなかったからなぁ。それよりも、色の変化や刺繍とかに愛着が湧くのだと思う。
日本でよくある、バレル(樽w)ワンピースのお決まりのフレーズは ”すとんとしたシルエットで腰回りのシルエットをカバー”で、確かに痩せては見えるんだけど、そういうシルエットの見えないワンピースの多いこと。ヨーロッパだと少しぽっちゃりしてても、どうやって体のカーブを魅力的に見せるかって言う方向に行くと思うんだけどな。
実は私は昔からワンピースが好きじゃなくて、ワンピースというだけで女の子らしいとかデザインが過ぎたり、ふわっとしてたり、逆にボディコンシャスだったり、シックすぎたり、カジュアルすぎたり、とにかく似合うものがなかった。数年前プラダのワンピースを古着屋で見つけて以来、ワンピースの可能性は広がったっけれど、それまでは縁遠いアイテムナンバーワンだったな。ってわけで、生まれて30年、服づくりを始めて10年たった今自分に似合うワンピースができたので、同じようなしっくりきてない人たちに着てもらえたら嬉しいと思っている。

理想に燃える人

3/25/2017

 
4年間日本のアパレル企業でデザイナーとして働いたあと、パリに来た。学生として、言葉も、モードのルールもわからなかった学生の1年目。フランスの企業でモデリスムとフランス語に勤しんだ2年目。3年目、デザイナーアシスタントとしてデザイナーの近くでその判断に身を任せつつ自分とのギャップを精査することで精緻な理想を積み上げてこれた。
更に去年30歳になり、今までわからなかったことの多くがわかるようになってきた。自分の出地や、もののあり方についてなど。既に全ての発見を細かく思い出せないけれど、徐々に自分の芯がしっかりしてきて、ぐらつきが少なくなってきたイメージだ。
デザイナーアシスタントとしては3つのメゾンで働いたけれども、いつでもその中心に自分がどうありたいかを据えることができていた。合理主義的に教育されてきた身として、それは一度会社に入ってしまうと簡単に曲がってしまうもので、今この最大限尖らせてきた理想をどの方向に向けるかという状況になってきているわけだ。

幼いころ、使い捨てカメラを初めて持ったときに、切り取ったもの、構図、撮りたいと思った気持ちを覚えている。
旅行先の遊園地の土産物屋に並んだ、カラフルな量産の小皿の、同じものが重なっているのがきれいだと思って横から撮った写真。本能的に撮った記憶がある。
そのころ両親はもう離婚していたけれど、私の父は陶芸家で、初期は1点ものではなく型を作る仕事をしていたそうだ。
量産やコピー、名もなき多くの人々の群衆性と個々のドラマティックに共感している自分がある。コピーをテーマに服を作ろうとしてる理由は、自分の生まれる前からなにか受け継がれてきたものらしい。琳派でいうと鈴木其一的に、世の中の美しいと思う部分を最新の時代に生きる人として強調していきたい。
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fiacアートフェアでおもうモード

11/1/2016

 
先週fiacという、パリで行なわれている世界的な規模のアートフェアに行きました。そこで自分がコンテンポラリーアートが好きな理由が腑に落ちた。
現代アートは、いまに対する批評性。これでいいのか?という問いかけ。それはそっくりモードのあり方と同じだ。
今のスタイルとこころや環境とのずれを感じ、もっといまに生きる人はこうあるべきだというイメージを作っていくことがモードのデザインだと思っている。ちょっと言葉が堅いけど。。
以前、ファッションでいう軽さって何?と聞かれたことがあるけど、その答えとしては、時代に乗ってるということだと思う。時代の価値観と少しでもずれていると、風になびかない、現代との交流のない”石のように固まった状態”に見える。そしてそれは、トレンドや流行以前のデザイナーの頭の中にあるものが左右してるものだとおもう。最終的なデコレーションのまえ段階の話。フリルをつけたら今年っぽいとか、そういう問題ではない。そういう意味ではシャネルの昔の服は今見ても風になびいてるものがあったりするからやっぱりすごいと思うのだ。

奈良さんの作品を初めて見た私が10代のころから、描くものやフォルムは変わっていない。その中で新たな質感の彫刻作品や写真作品から、1人の作家の奥行きを感じられる。先日発表された東京のファッションウィークでの知人のショーでは、半年前発表された良かったものたちが全く刷新されて新しく作ったパターンで、素材で発表されていた。洋服のデザイナーも、気持ちの面では作家であった方がいいと思う。一つの原石をあらゆる方向から磨き上げていく努力をするのが本当でありたい。それが自分のブランドを構えた人のやるべきことだと思う。

私がfiacから出る前にもう一度奈良さんのブースに行こうと歩いていた時,日本人同士が話している声を聞き顔をその方向に向けると奈良さんがいた。声をかけたりはできなかったけど、理想的な作家像として私の中で君臨し続ける本人の存在を目視できただけでありがたい。
大きな丸いフォルムの真っ白い女の子の頭の、紙粘土が乾いてきたときの様な脆さのある表面。を理想とする奈良さんの繊細なものづくりを励みにこれからも頑張りたいと思います。

もうすぐ30歳

5/3/2016

 
最近の私が人から聞いた言葉で残っているもの。

某女史がいつまでも続けていられる理由を聞かれた時、自分がおもしろいと思ったものしかやっていないと言っていたそう。
ファッションがわかった瞬間(ファッションビジネスが見えた瞬間)、その人は消えていく。だって。何かよくわからないはざまのブレが、ファッションの魅力をつくる。なんかひさしぶりに熱くなった。

トレンドに流されないものづくり。といっても、MUJIとかそういうことではなく、いつまでたっても価値を感じるもの。ユーズドの売買で、ずっと価値がある(むしろ値段が上がる)洋服には、そのものの作品性がある。そのくらいの強さがあるということ。トレンド的に良いものじゃなくて、10年経っても価値がある洋服を作りたい。

デザイナーはアーティスト!とよく言う新しい会社のアトリエチーフ。そういう環境が、わがままを許してくれる周囲の人が、ある意味でデザイナーをたらしめてくれている、そんな環境。

決心

4/3/2016

 
私自身30歳を目前に、抱える女性性の悩み。
幼い頃からものづくりの中で生きてきた私にとって、それ以外のことが考えられず、ずっとデザイナーとしていい仕事をしたいという気持ちを抱きながら、今に至る。
海外旅行にも行けない貧しい田舎の家庭に育ちながら、出会う人に恵まれ、なんとか今パリで一流のメゾンに近いところで戦いを挑んでいるところ。
そして今、偉大なデザイナーが没しまた生まれるこの地で、私もこの世界に一筋の生きる希望を刻みたいと、真っ向から世界に挑戦したい気持ちでいる。
職業人として、使命を全うしたいという気持ち。

それに対して、女性性としての私は全く逆の感情を抱く。
現在離れて暮らす旦那と早く再会したい。早く東京に帰りたい。子供がほしい。毎日安心して眠りたい。女として生きたい。

両方の思いが強くなって、アンビバレントな感情に体が裂かれる思い。お互いがお互いを殺している感じ。
離婚をすることも、子供を育てながらゆっくり仕事をすることも考えた。けれど、どちらも私の本当に望むものじゃない。


そして、今の働く女の人が多い時代、このアンビバレントな感情を抱えながら生きている人はたぶん私だけではないと思った。
仕事で重要なポジションを任されながら、女として好きな人と大事な時間を過ごしたいと思っている人たちはたくさんいると思った。

ずっとコンテンポラリーな女性像とは何か考えてきたけれども、これは、感情を込めて、今を生きる現代の女性像だと言って良いと思う。
フレッシュでとがった、ファッションヴィクティムな洋服や女性像は作れないけれど、
今の働く女の人がより自分の気分に近しい、安心できる心のブランケットみたいな洋服を、自分の今まで培った経験を元に形にしていきたいとおもう。

欲望とエレガンス、

3/30/2016

 
サンローランは女性にパワーを与えた、シャネルは女性たちを解放した。アルベール エルバスは、女性に何をもたらせるか考えた。
もし私が日本にいたら、歴史に残る偉大なデザイナーになりたいと考えたことがあっただろうか。
だったら私は、現代の女性にいったい何をもたらせるだろうかと考えたことがあっただろうか。
​知人が参加していることもあり、今回の東京コレクションは割とよく見た。
日本のブランドのコレクションを見ていて、すごく鎖国のスピリットを感じた。
純粋に自分の好きなことをやるという精神、それは美しいけど、結果的には世界を見れていない、っていう結果に映る。
服をコレットに置きたいのか、日本で身近な人に心地よい服を売りたいのか。
どこに目標を置いてるかにもよるけど、パリに住みながら日本のファッションウィークを見ると、遊んでるようにしか見えないブランドがたくさんある。実際あまり本気ではないと思う。
歴史的な老舗で、大規模なブランドで、急拡大した新しいメゾンで、期待の新星として、しのぎを削ってるっていうのはこういうことなんだなと思える、パリのショーに参加するそのレベルのブランド。
世界で生きていくために、オンリーワンであり、ナンバーワンを目指している。時代的に、激しいクリエーションではないけれど、時代の牽引者になるために、新しい価値を本気で探しながら、ブランドをやってる。
ショーはプロモーションであり、広告だから、多くの人に見てもらいたいっていう意思があるはず。
そういうプロモーションをするときに、
デザイナーの小さい島国で培った価値観を見せられると、チーンとなってしまうところはある。
この色使い、モデリズム、思考、グローバルな世の中に、この狭き価値観!?洋服のデザイナーという立場で!?と思ってしまう。
むしろ、海外にいて戻ってきても、日本で暮らしているとヨーロッパが遠すぎて忘れてしまう部分があると思う。
この前のcoromozaでやってた座談会でも、私たちぐらいの世代のわりと弁が立つ人がいたけど、的外れな印象を受けてなんとも言えない。。あなたの好みを聞いてるんじゃなくて、時代をどう映しているかが知りたいんだよ。っていうところ。
ライターとかバイヤーは世界のファッションサーキットに乗って仕事ができるけど、ある意味日本在住の中流階級以下の若手デザイナーっていうのは、めちゃくちゃ不利。しかも海外歴のない人が、日本在住でデザイナーとしてグローバルに活躍していくっていうのは、それ故の独特な感覚を誇張する方法しかないのでは。中途半端では、難しい。日本独特の、隠れた美徳とか、ゆるさとか、ストリートを、より誇張して、分かりやすく落としこむ目が必要だと思う。ショーをするならなおさら、世界を見てる人たちに、おもしろいブランドと認識させなければいけないから、島国の価値観は寒く映るとおもう。
自分が今やっていないから言えないけれど、備忘録として。


スタージュを探す上で、老舗ブランドに入って仕事をすることを現実的に考えたり、実際面接で内部に入ったり、歴史を調べたりしてよりパリのブランドを身近に感じることができている。今日、ランバンに行ったけれど、アルベールエルバスはここで仕事していたのかなあとか、意外と新しい簡素なスタジオなんだなあとか、実際のことはわからないけど、現実的にトップレベルのプロフェッショナルたちが働くことを想像する。


最近エレガントというキーワードをよく考える機会があるけれど、
エレガント=上品というのは、見えないところに宿る気配だと思った。
porterは、フランス語で持つという意味の単語だけれど、着る、支えるという意味もある。
服を着るということは、体や生きること自体を支える、という意味ととらえてもいいと。
ディーオルは、エレガントとは全て、と言った、見えないところまでの配慮がエレガントだと
サンローランは心のエレガンスなしにエレガンスはないと言った
シャネルはだいたいの女は着飾りすぎていて、エレガントじゃない
と言ったそうだ、
AV監督の仁村さんがコラムで、品がいい人が一番モテる。品がいい人は、自分の欲しいものを知っていて、欲しくない物は欲しがらないから品がいいと言っていた。自分の欲望を探すことが、上品になることに繋がると。例えば仁村さんはAV監督だから例としてこう挙げていたけど、自分の欲望を知っている=どんなセックスをしたいかを知ってる人。自分がどういうセックスをしたいか追求することがエレガントだということに繋がるという展開は、結構おもしろくて目から鱗だった。

体のフィールド

12/15/2015

 
20代前半くらいの、若い人たちからよく、リアルな服が作りたいと聞く。
私は近頃、リアルなものの中にファンタジックな何かとか、高揚感とかを感じれることが良いなあと、思ってきた。
リアルな洋服を作ってきたこの5、6年間。図面化された洋服の下絵(平絵)を元にして作る服は、実際も、感覚的にも予想のサイズ感を越えない。
良い服、良い体の捉え方をしてるなあと思う写真など見たとき、体はこんなに大きかったんだとか、こんなに見所があったんだなあと思う。
時間をはしょるために、写真の土台の上にデッサンすることは効率的だけど、
もう少し、自分の体の捉えかたを可視化するためのデッサンに描きかえたい。
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    misa 

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